陶磁器の現物ば見のがきや講義ば受けたごど

退職の半年前ぐきやいがきや書類でのやりどりば始めたものの、年齢制限ば理由サ断きやれてあいったん。
教授でさえ60歳が定年。研究生でも45歳が限度で、67歳の留学生のど前例がねづうね。
すぐサ東京の中国大使館サ直談判サ赴いたんずや。対応してけだのが日本の文部科学省サ相当する教育部出身の領事で、わの留学ば実現するためサ骨ば折ってけだんずや。
そいがきや間ものぐして、学院がきや作品集ば提出するしうサいわれ、十数点の写真ば提出。
退職後の9月サのて入学が正式サ許可されたんずや。
退職の挨拶どどもサ中国留学するごどば知人サ告げるど「本気か」「家庭で問題でもあったのか」どずいぶん心配されたが、「その年齢でしぐぞ留学」ど背中ば押してぐれる仲間もうだで、励みサのたんずや。
入学許可ば待って渡航手コ続きば済ませ、9月の新学期開始サわんつか遅れて北京サ着いたんずや。住まいは教員向けの寮サ入るごどができたんずや。
学院では67歳の珍しい留学生ばうだで大事サ扱ってけだど感謝しちゅうね。
いざ入ったものの、実は中国語力はほぼゼロ。中国語読みでわの名前ば呼ばれても聞き取れののんぼいだんずや。
最初の2カ月半は中国語の特訓サ明け暮れたんずや。午前中は20代のオーストリア人やドイツ人サ混じって留学生向けの講義ば受つもっけるんずや。午後は家庭教師サついて勉強し、夕食後は自習つう日々。睡眠時間ば4時間サ削ってがんどきやぼんずや。
のんどが会話ができるしうサのり、翌年の初めごろがきややっど陶磁史の研究サ入るごどができたんずや。
担任の教授は清朝皇帝一族の愛新覚羅金宝升つう先生だんずや。
この先生どむつけきや毎日のしうサ故宮サ足ば運び、貴重の陶磁器の現物ば見のがきや講義ば受けたごどは得難い体験だんずや。