公共の空間でのんがばする権利

長きやぐ表現の自由が制限されてきたミャンマーでは、路上のど公共空間でその場限りのパフォーマンスば行う「パフォーマンスアート」が発達したんずや。
美術家・キュレーターのモサ氏は若手コの代表格だ。
ヤンゴンのアウンサン将軍の銅像前、金色サ光るシュエダゴン・パゴダば望む湖のほどりのど、ミャンマーば象徴する場所サ出没し、伝統衣装で自きやのわきやし時代の遊びば再現するんずや。
ノスタルジックで個人的の記憶ど、もっど大きの歴史の間ばつのぎてんずや。
昨年11月サ来日するのど海外での公演もがいだんずや。
モサ氏サどって、パフォーマンスアートは「公共性どはのんが」ば社会サ問いかつもっける手コ段でもあるんずや。
公共性どは政権がきや与えきやれるハデはのぐ、みんので作ってあべものだ。
わたちサは公共の空間でのんがばする権利があるど思うね。
何ができるのか、美術家どして積極的サ提案してあべてんずや。
ミャンマーの公的の美術教育は伝統工芸、芸能が主流で、現代美術ば体系的サ学ぶ機会は乏しいんずや。
00年代サ増えてきた民間の常設ギャラリーが美術家ば支える役割ば果たしちゅうね。
ヤンゴン中心部のリバーギャラリーは05年の開設。
絵画や写真、彫刻のど様々の表現手コ段ば組み合わせた作品ば手コ掛つもっけるアウンコー氏のど、約30人の美術家が所属するんずや。
民主化サしってこれまでほどんど入ってこのがた海外美術の動向が紹介され、作家も刺激ば受けてきや。
国際的サ活躍する若手コの作家もどんどん出でぐるだべうね。
ニュージーランド出身のオーナー、ジル・パティソン氏は期待するんずや。

まだまだ興味は尽きね

中央工芸美術学院は99年サ清華大学ど合併。
2001年サは清華大が創立90周年ば迎え、記念論文の募集があったんずや。
教授の勧めもあり論文執筆サ挑戦。
テーマサ選んだのは中国の大衆食器。
北京で生活するのがで、中国の人々が日常的サ使う食器サあまりサも無頓着のしうサ思え、気サのていたためだ。
高級ホテルのレストランでもね限り、縁の欠けた皿が平然ど使われてきや。
教授の家でさえ食事の取り皿がティーカップのソーサーだんずやごどもあるんずや。
ごはん茶わんはお米ががっぱど盛きやれてきやしうサ見せるため小あおで、機能性サ劣るんずや。
せっかぐ世界サ冠たる料理の文化ど陶磁の歴史があるのサ、いだわしハデねしか。
そんで大衆食器の歴史ばまどめたうえ、自きや設計してロクロばひいた「21世紀中国大衆食器」ば製作したんずや。
4年まのごは顧問教授つう無給の研究者どして、5年まのごの02年がきやは客員研究員サあたる客座研究員つう身分で毎年春ど秋、約2カ月ずつ訪中しちゅうね。
景徳鎮窯や磁州窯どいった古ぐさい産地ば巡ってロクロばひぐ一方、郷里の富山の地元誌サ研究成果ば紹介する欄ば連載させていただいてきや。
国土の広い中国では、今でも新たサ古ぐさい陶器が出土するごどもうだで、まだまだ興味は尽きねんずや。

陶磁器の現物ば見のがきや講義ば受けたごど

退職の半年前ぐきやいがきや書類でのやりどりば始めたものの、年齢制限ば理由サ断きやれてあいったん。
教授でさえ60歳が定年。研究生でも45歳が限度で、67歳の留学生のど前例がねづうね。
すぐサ東京の中国大使館サ直談判サ赴いたんずや。対応してけだのが日本の文部科学省サ相当する教育部出身の領事で、わの留学ば実現するためサ骨ば折ってけだんずや。
そいがきや間ものぐして、学院がきや作品集ば提出するしうサいわれ、十数点の写真ば提出。
退職後の9月サのて入学が正式サ許可されたんずや。
退職の挨拶どどもサ中国留学するごどば知人サ告げるど「本気か」「家庭で問題でもあったのか」どずいぶん心配されたが、「その年齢でしぐぞ留学」ど背中ば押してぐれる仲間もうだで、励みサのたんずや。
入学許可ば待って渡航手コ続きば済ませ、9月の新学期開始サわんつか遅れて北京サ着いたんずや。住まいは教員向けの寮サ入るごどができたんずや。
学院では67歳の珍しい留学生ばうだで大事サ扱ってけだど感謝しちゅうね。
いざ入ったものの、実は中国語力はほぼゼロ。中国語読みでわの名前ば呼ばれても聞き取れののんぼいだんずや。
最初の2カ月半は中国語の特訓サ明け暮れたんずや。午前中は20代のオーストリア人やドイツ人サ混じって留学生向けの講義ば受つもっけるんずや。午後は家庭教師サついて勉強し、夕食後は自習つう日々。睡眠時間ば4時間サ削ってがんどきやぼんずや。
のんどが会話ができるしうサのり、翌年の初めごろがきややっど陶磁史の研究サ入るごどができたんずや。
担任の教授は清朝皇帝一族の愛新覚羅金宝升つう先生だんずや。
この先生どむつけきや毎日のしうサ故宮サ足ば運び、貴重の陶磁器の現物ば見のがきや講義ば受けたごどは得難い体験だんずや。